未来までグルグル行進

東京で出会い、4年ぶりに電話で合流した2人。篠塚康介は福知山に。コスモオナンは福岡に。未来まで真っ直ぐ進める気がしない。グルグルして行進。それぞれの場所で何も気にしなくてよくなった2人が、思いのまま書きます!

地図さえない それもまた人生(by篠塚康介)

ちゃんまりの更新を待たずして、ブログを書きます。この共同ブログは自由なので、順番なんてないのです。僕が10個書いて、ちゃんまりが1個書くペースでも問題ないのです。

 

2022年9月〜12月、僕は措置入院をしていた。千葉県知事からの命令?で入院するという1番重い入院である。

 

入院中に、週一回1時間CDで音楽を聴ける日があって(確か水曜日だった)、僕は美空ひばりの『川の流れのように』をよく聴いていた。

 

一回号泣してしまい、看護師に大丈夫かと心配された。それくらいこの歌は当時の僕に突き刺さった。

 

地図さえない、それもまた人生

 

本当にその通りだ。僕の人生には地図がない。2019年にレールから外れ、よくわからない人生を送ることになった。

 

風俗ブログをきっかけに大学に呼び出され、それがTwitterでバズり、ベーシックインカムシネマズ1人目の受給者に選ばれ毎月20万円もらうようになり、親にAV男優になりたいというのをTwitterライブ配信

 

そのあと京大卒のWとメンズエステを作ることになり、エロのメディアも作り、そして早稲田王に出て、そのあとAVデビューした。

 

毎日が目まぐるしく、もうあの頃に躁鬱を発症していたんだと思う。というか大学2年(2018年)の頃には躁鬱気味だった。

 

とにかく躁状態だったからこそ、たくさんの人に会い、イベントを開き、AVにも出演できたんだと思う。

 

2020年になり、会社を廃業し(つらかった)、3月にはものすごく可愛い彼女ができた。

 

自慢の彼女で俺の友達は結構会ったことがあると思う。

 

コロナで緊急事態宣言が出て、仕事がなくなったので、彼女が僕の家にきて、最高な日々を送った。

 

7月、躁鬱を発症。鬱から始まった。

死にたくて死にたくて仕方がなかった。彼女が心配して、家まで来て(当時は野方で一人暮らしをしていた)、流山の実家まで連れて行ってもらった。本当に苦しかったし、彼女にもたくさん迷惑をかけた。

 

1週間入院して、退院してからはしばらくは落ち着いていたものの10月から躁気味に。

 

11月には完全におかしくなって、寝なくなり、妄想がひどくなり、詳しいことは書かないけど、異常行動をしまくって、強制入院。ここで彼女とは別れた。つらかった。

 

1ヶ月半入院して、退院したものの、またすぐに発症し、1ヶ月半また入院。

 

退院して、大学に復学したものの、朝起きられない(薬の副作用ってことにしたい)、授業についていけない、中退を決意した。

 

2021年6月大学を中退。

あんなに大学受験を頑張って、中退してしまったことは何より親に申し訳なかった。高い学費をたくさん出してもらって、それで中退。

 

その後、家を出て行けということになり、あんまり経緯は覚えていないけど、実家の近くに新しくできたグループホームに入居することになった。(障害者手帳を持ってる人が共同生活をするシェアハウスみたいなところです)

 

グループホームのスタッフとすごく仲が良くなり、色々お世話になった。本当に感謝している。

 

ケースワーカーに勧められたので、生活保護を申請した。すぐに審査は通って、生活保護を貰うことになった。

 

その後、2022年。6月から障害年金を貰うことになり、生活保護廃止。福知山に移住した。

 

9月に東京に行った時に、激しい躁状態になり、(薬を一才飲んでいなかった)さっき書いた通り、3ヶ月間措置入院。3ヶ月はあまりにも長く、苦しい日々だった。でもそれくらい病気が重かったので、仕方がない。

 

退院したあとはまたグループホームに。1年間ほど、グループホームで過ごしたあと、また福知山に移住してきた。

 

でこぼご道や、曲がりくねった道。

 

きっとこれからも人生苦しいことが待ってるかもしれない。でも、どんな困難もこんなん余裕って言って乗り越えていきたい。

生きることは旅すること、終わりのないこの道。

 

不思議な体験もたくさんしたし、めちゃくちゃ幸せな思いもしたし、死にたくなるほどつらいときもあって、人生ジェットコースターすぎるけど、この人生をこれからもなんとかやっていきたい。

なんとかやっていける気がしている。

 

ずっと『川の流れのように』を一曲リピートしてこのブログを書きました。